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「ベイオブアイランズってどこ?」![]()
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さくらロッジB&Bがあるベイオブアイランズ(Bay of Islands)は、オークランドから車で北へ約3時間(約250km)の場所に位置しています。 日本ではちょっと馴染みが薄いですが、2007年に実施されたAA(自動車協会)による「NZ国内お勧めスポット」に関するアンケート調査の結果で栄えある第3位(北島では堂々第1位!)に輝いた、ニュージーランド屈指のマリンリゾートです。 ご質問/ご予約等は問い合わせフォームまたはメールで いつでも遠慮なくお問い合わせください。 |
NZの誕生日!ワイタンギ・デー(Waitangi Day)
2月6日はニュージーランドの誕生日とも呼べるワイタンギ・デーで、祝祭日となっています。
1840年のこの日、ここベイオブアイランズのワイタンギで先住民族のマオリ族とイギリス女王との間で条約が締結されました。これがワイタンギ条約です。もちろん、これよりも何百年も昔からこの地に人は住んでいましたが、この日を境に「ニュージーランド」という国としての歴史が始まったわけです。北島各地から集まった43部族の酋長がこの日条約に署名し、その後全国500人の酋長の署名を集めたそうです。
マオリの人たちにはイギリス国民としての権利が認められ、近代化に向けての前途が開かれたかのように見えたワイタンギ条約ですが、そう簡単に事は運びませんでした。その後イギリスとマオリ族の間での戦争も起こり、現在もなお様々な問題が残っているのが現状です。
なぜそんなことになってしまったのか...?すべては英語版の条約案をマオリ語に翻訳した時から始まっています。いくつかの英語の単語には、認識/文化の違いでマオリ語には存在しない言葉があります。(もちろん、日本語と英語の間にもあります。)翻訳者はそういったことを深く考えずに、または時間の制限などでうまい訳を見つけ出せないまま無理やり訳してしまったと推測できます。結果的に英語版条約とマオリ語版条約では意味の解釈に大きな隔たりができてしまったのです。
白人入植者たちによって、彼ら(とその文化)の都合のいいような理由や方法で土地を取られてしまったマオリの人たちも多く、現在までに大きな抵抗問題として発展しているものもあります。これも、ニュージーランドの土地はすべて自分たちのものと思っているマオリと、ニュージーランドは植民地と捉えていら白人たちの理解度の違いが引き起こした悲劇とも言えるでしょう。また、政治に絡む問題にもなっています。これらのことを含め、1975年、ワイタンギ条約で認められた権利をもう一度見直そうと「ワイタンギ審判所」なるものが設立されました。英語だけだった公用語に現在はマオリ語も加えられています。
でも、約170年も昔の条約が今もまだ生き続け、21世紀の現在もその威力を残し続けているって、考えてみるとすごいことですよね。
ワイタンギ・デーには、全国から多くのイウィ(Iwi、部族)がここワイタンギに集まってきます。ニュージーランドの歴代首相たちも過去に何度かこの地を訪れています。イギリスのエリザベス女王も若い頃、ワイタンギ・デーの式典に参加したことがあります。その様子は
今と昔のフォトアルバムのページ(しばらく更新していませんが・・・)に載せています。
いつもは静かなワイタンギ一帯もこの日は交通規制が行なわれ、多くの人で賑わいます。多くのワカ(Waka、マオリの戦闘用カヌー)も海に繰り出し、訪れた人の目を楽しませてくれます。様々なイベントも行なわれます。この日ベイオブアイランズに滞在している方はぜひワイタンギ条約記念公園を訪れることをお勧めします。
2009年の様子の一部は「ワイタンギ・デー 2009年」をご覧ください。
1840年のこの日、ここベイオブアイランズのワイタンギで先住民族のマオリ族とイギリス女王との間で条約が締結されました。これがワイタンギ条約です。もちろん、これよりも何百年も昔からこの地に人は住んでいましたが、この日を境に「ニュージーランド」という国としての歴史が始まったわけです。北島各地から集まった43部族の酋長がこの日条約に署名し、その後全国500人の酋長の署名を集めたそうです。
マオリの人たちにはイギリス国民としての権利が認められ、近代化に向けての前途が開かれたかのように見えたワイタンギ条約ですが、そう簡単に事は運びませんでした。その後イギリスとマオリ族の間での戦争も起こり、現在もなお様々な問題が残っているのが現状です。
なぜそんなことになってしまったのか...?すべては英語版の条約案をマオリ語に翻訳した時から始まっています。いくつかの英語の単語には、認識/文化の違いでマオリ語には存在しない言葉があります。(もちろん、日本語と英語の間にもあります。)翻訳者はそういったことを深く考えずに、または時間の制限などでうまい訳を見つけ出せないまま無理やり訳してしまったと推測できます。結果的に英語版条約とマオリ語版条約では意味の解釈に大きな隔たりができてしまったのです。
白人入植者たちによって、彼ら(とその文化)の都合のいいような理由や方法で土地を取られてしまったマオリの人たちも多く、現在までに大きな抵抗問題として発展しているものもあります。これも、ニュージーランドの土地はすべて自分たちのものと思っているマオリと、ニュージーランドは植民地と捉えていら白人たちの理解度の違いが引き起こした悲劇とも言えるでしょう。また、政治に絡む問題にもなっています。これらのことを含め、1975年、ワイタンギ条約で認められた権利をもう一度見直そうと「ワイタンギ審判所」なるものが設立されました。英語だけだった公用語に現在はマオリ語も加えられています。
でも、約170年も昔の条約が今もまだ生き続け、21世紀の現在もその威力を残し続けているって、考えてみるとすごいことですよね。
ワイタンギ・デーには、全国から多くのイウィ(Iwi、部族)がここワイタンギに集まってきます。ニュージーランドの歴代首相たちも過去に何度かこの地を訪れています。イギリスのエリザベス女王も若い頃、ワイタンギ・デーの式典に参加したことがあります。その様子は
今と昔のフォトアルバムのページ(しばらく更新していませんが・・・)に載せています。
いつもは静かなワイタンギ一帯もこの日は交通規制が行なわれ、多くの人で賑わいます。多くのワカ(Waka、マオリの戦闘用カヌー)も海に繰り出し、訪れた人の目を楽しませてくれます。様々なイベントも行なわれます。この日ベイオブアイランズに滞在している方はぜひワイタンギ条約記念公園を訪れることをお勧めします。
2009年の様子の一部は「ワイタンギ・デー 2009年」をご覧ください。
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